4年前の今日、大きな悲しみと恐怖が私たちを襲いました。
私はとても無力で被災でなくなった方々のご冥福を祈り、また大切な人やものを失った方々の心を心配し、少しでも足りない電気を届けるために必死に節電することしかできませんでした。
当時、私は長男を出産したばかりで初めての育児に右往左往、思うように動かないからだと戦いながらマンション(9階)の自宅に産院から帰ってきて数日たった頃でした。
授乳を終え眠りについた息子をそっとベビーベッドに寝かそうとしたとき地震が発生。
私の住んでいる土地は震度5弱程度だったようですが、マンションの9階だったこともあったのでしょう、ゴゴゴという音と共にかなりの激しい揺れを感じました。どんどん揺れは激しくなり、隣の部屋の何かが落ちたようなものすごい音が聞こえました。
生まれてから何度も地震を経験しましたが「もうだめかもしれない、崩れちゃう。」と死の恐怖を感じたのは初めてでした。
揺れも長かった。地獄のようでした。
数日前に出産を経験し、命がどれだけ奇跡でどれだけ尊くてすばらしいものか身をもって感じたばかり。腕に抱いた小さな息子を思いながら、せっかく生まれてきたのに、死なせるわけにはいかない、この子だけでも生きて欲しい!ひたすらにそう思っていました。
そしてだんだんと揺れがおさまっていった時、気がつくと私はたくさんのクッションや布団に包まれていました。
義母がすごい揺れの中何度も転びながらも家中の柔らかいものを集めて私と息子を守ろうとくるんでくれていたのです。
産後の手伝いに義母がいてくれたのですが、あの時、もし私ひとりだったらと思うと本当に義母の存在に感謝です。そしてその暖かさにも感謝です。
とりあえず、生きてた!あんなに揺れたんだから震源地この辺でしょ!と思いました。
パニックになりながらも情報を得るためにテレビをつけようとしてもつかず、停電。携帯もつながらず。しばらくしてワンセグに気づき、見てみると、あの、恐ろしい津波の映像・・・。そして、震源地は東北。という事が分かりました。心臓のドキドキは止まらず充電が切れたら困るので見るのをやめました。夜中まで停電していたので原発のことや詳しい事はその後に知る事になりました。
あの恐怖の体験、私なんかの恐怖の体験なんか比べ物にならないくらい辛い経験をされた方を思うと胸が張り裂けてしまいそうです。時が経てば経つほどに過去になってしまいますが、忘れてはいけない、伝えなくてはいけないと思うのです。一番近くの子どもたちに。
あたりまえの日々への感謝。
編み物を楽しめる日々に感謝。
素敵な出会いに感謝です。
娘が書いた、赤ちゃんの絵。あたりまえの毎日に本当に感謝です。
辛い中、被災地のある中学生が卒業式で述べた『しかし天を恨まず強く生きて行かなければならない』ということばが忘れられません。
動画を投稿して少しでも、ほんの少しでも誰かのためになるなら、どこかで誰かが喜ぶなら、誰に何を言われようとも続けて行こうと改めて思った一日です。
これからも楽しくみなさんと一緒に前を向いて歩めたらなと
願うばかりです。
少しでも多くの方が笑顔になりますように。
meetang